フジのNEOPAN ACROS100が好きです。
というのも僕が白黒フィルムを始めたときには国産白黒はもうそれしか無かったのです。
東西色んな白黒フィルムを使ってきましたがやはり富士フイルムのアクロスは格別、というか他の白黒には無い"良さ"みたいなものがあります。
ただ2019年8月現在、生産は終了しております。
fujifilm.jp
なんとも無情ですが、これも仕方なきことかと思います。
というわけで今回はフィルムについてのアレコレを書き殴ってみたいと思います。
この二枚、どっちかがデジカメで、どっちかがフィルムなんですけども。
わかりますか?
そりゃね、よ〜く見りゃ分かるとは思うんですけど、スマホの小さい画面でパッと見見分けがつくかと言われればどうでしょう。
全然違うわよ舐めんなよと言われそうですが、それはあなたがそれなりに写真に精通しているからでは??
フィルムユーザーと言われる人たちで、そういう”玄人”っぽい方々ばかりではないのはご承知でしょう。
所謂ライト層が求めるものとは何でしょうか。そうです、それはズバリ皆さんが日頃唾棄すべきと管を巻いてる”フィルム感”なのです。
統計取ったわけじゃないですが、少なくとも僕がフィルムをやりだした理由はソレです。
低コントラスト低彩度で淡く色かぶりした写真。"フィルム風"とかいうワードがまかり通る昨今、デジタル現像でいくらでもフィルム感が演出できるのに実際フィルムを使う理由とはなんでしょうか。
なんでしょうね、ライブ感というかリアル感というか。
SNSで消費されるフィルム写真とは、誤解を恐れずに言えば ”私はいまフィルムを使ったぞ” という報告に他なりません。そしてそれで得られる"いいね"とはどういう意味合いを持つのか。
百人いれば百通りの写真観があるでしょうが、僕はこう思うのです。
”それがフィルム写真である” と。
フィルムとはムーブメントです。エンターテイメントです。そこにいて、体験し、誰かに伝えることこそが肝要なのだと思います。
自家現像だったり暗室に籠もったり、現像所ごとの違いを追い求めたり、あるいはもう手に入らないフィルムで一喜一憂したり、こうして詮無い記事なんかを書いてみたり。
そういう諸々を次代に伝えることこそ"フィルム写真の真髄"なのだと思うのです。
#フィルムの灯を絶やさない というインスタタグを目にしたことがあります。フィルムの灯火はまだ消えていないぞ、と気概を感じる良いタグだと思うのですが、本当にフィルムの灯は絶えていないのでしょうか。
その灯りは、花火を見たあと瞼の裏に残光が焼き付くアレではないのかと思うのです。フィルムが次々と姿を消しているなか、そうでないと言えるでしょうか。
その色を、その音を、その形を、誰かに伝えることこそが現代におけるフィルム活動なのではないか、とそう思うのです。
なんて言ってたらフジのアクロスが2019年秋に復活だとか。
www.fujifilm.co.jp
未だ新しいフィルムが開発されたり発売されたりしてるのでやはり灯は絶えていないということでしょうかねハイ。
やったぞう! これからもフィルムを楽しめるんだ! と喜べるので現金なもんですね、という話でした。おわり。